承前。
さて、飛行神社は、ライト兄弟初飛行以前から独自の飛行機研究を行っていた二宮忠八翁が、航空事故死者の霊を祭るために建立した神社です。珍スポットとして紹介されることも多いのでご存知の方もあると思います。
ここの記事も、珍スポット紹介的な雰囲気ですが、書いてる本人としてはそれなりにまじめなつもりです。そもそも、訪問のきっかけは、4年ぐらい前、忠八翁の生涯を書いた吉村昭の小説「虹の翼」を読んだこと。当時、京都市に住んでたので、小説に描かれた忠八翁その誠実な人柄に引かれ、さっそく飛行神社を訪れた。しかし、夕方だったため、神社に併設されている資料館(うえの写真、奥の赤レンガ風の建物)を見ることができなかった。そして、今回、資料館見学のため4年ぶりの訪問となった訳です。
さて、写真に戻って・・・
ジュラルミンの鳥居をくぐると、古代地中海風の拝殿がある。
拝殿の破風には、トビウオと玉虫のステンドグラス。
陸軍の看護卒であった忠八翁は、カラスの滑空する姿から固定翼航空機を考え出し、ゴム動力のカラス型模型”飛行器”を作成その飛行に成功する。さらに、虫やトビウオ等の空飛ぶ生き物を研究し、ライト兄弟の飛行に先立つ10年前に、人が乗れる=操縦翼面を持った玉虫型”飛行器”の設計を完成させている。
拝殿の横に、三つの社がつながった本殿。
奥から、航空機事故死者、饒速日命 、薬祖神を祭る。
薬祖神を祭るのは、忠八翁が製薬業界で活躍されたため。玉虫型飛行器を設計した忠八翁は、その動力の入手が困難なため、陸軍の上官に飛行器研究を具申するも却下される。そこで、自力での研究資金確保のため、薬剤師免許を持っていたことから、民間の製薬会社に入社する。そこで、誠実仕事ぶりで経営で業績を上げる一方、自ら数々新薬の開発を行っている。
製薬業界の成功でようやく資金を得た忠八翁は飛行器研究を再開するも、その直後、ライト兄弟の飛行成功を知り研究を断念する。
飛行機研究から離れた後、飛行機事故で命を落とす若者たちの存在に心を痛め、その霊を弔うための自ら神主の資格を取り、自費で自宅敷地内に飛行神社を建立する。
神社には、航空機事故死者、薬祖神とともに空飛ぶ船、天磐舟に乗る饒速日命を飛行機の神として祭る。
カラス型飛行器を描いた絵馬。
場所が場所だけに非常に具体的な内容が書かれてて、見ていて楽しい。
“キャビンアテンダントになれますように”とか”ウイングマークがとれますように”とか”H-IIAロケット打ち上げ成功”とか。
念願の資料館も見てきましたが、写真は個人利用に限ってとのことでしたので、ここには載せません。思ったよりずっと立派な資料館でした。カラス型模型飛行器、玉虫型模型飛行器等本物が見れて楽しかった。
09/01/17
飛行神社/八幡市
コメント